2013年2月21日木曜日

計画経済の幻想


20代の頃試験勉強で経済学の書籍を沢山読んで時期があります。経済学と言えば、社会主義(マルクス経済学)vs資本主義(近代経済学)という対立が長くあったそうですが、私の世代(現在41歳)では社会主義が経済学の勉強に出てくることはなく、ケインジアンvsマネタリストが主題でした。

その中で異色の本が「複雑系経済学入門」塩沢由典著です。

この書籍では、社会主義経済の幻想、資本主義経済の幻想がかかれており、それにかわる新しい考え方を提示しています。
いま複雑系という言葉はほとんど聞かれませんが、いまだに自分の中で影響をうけている書籍です。

この書籍によると社会主義の目指した計画経済は、簡単に言うと「計算のムリ」「働きかけのムリ」「情報収集のムリ」があり原理的に成り立たなかったと説明されています。

ふつう経営学の話しは当たり前のように資本主義を前提として考えられていますが、この書籍の視点に立って考えると、多くの経営学の話しは計画経済を目指している社会主義的な物が主流と思えます。
ERP・目標管理・WBS・EVM・テーラーの科学的管理法などなど、これらを計画重視で考えるとみな計画経済の話しと同じになります。コンピューターの発達で計画経済ができるような「コンピュートピアの幻想」をもった事がそれに拍車をかけているのでしょう。

私はCCPMというプロジェクトマネジメントの研修・コンサルティングをやっているのですが、相談に来られる方の中にある計画への幻想をどうやって変えるのかに苦心します。
CCPMでは、目標をODSCの観点で明確にする、目標から逆算で作業を出すバックワードタスクだし、山崩し、合流バッファなど計画方法について様々な事があるので、当然興味は計画のやり方に集中します。
しかし計画をいくらがんばっても目的達成に有効な意義を持たせるのはムリがあります。我々にはタイムマシーンはありませんので計画策定に限界があるのです。
CCPMではそれよりも、計画できない部分をバッファとして明確にしておき、計画からのずれをバッファ傾向グラフでシンプルに確認、対策を迅速に打つことを重視していますし、対策を実行しなければ効果はでません。そもそもいくら一生懸命計画したとしてもバッファサイズを見積もることは不可能なのです。
あるマネージャーが、「おまえらCCPMで計画しているのになぜうまくいかないのだ」と遅れているプロジェクトリーダーを怒るシーンを見たことがありますが、マネージャーが対策をうたなかったら遅れて言っているのであって、こんなこと言っているのであればCCPMをやる意味はないのです。

CCPMは計画強化によってうまくいかせるものではなく、迅速な対策がうてる確認体制を構築する、そのためにルールに基づいたバッファを計画する。これがCCPMです。

ERPや目標管理なども同じで、これを使って計画精度をあげようと考えると失敗します。いい計画をつくればうまくいくと考える社会主義的なパラダイムを持っていると原理的に不可能なので失敗するのです。

総じて言うと、以下のように言えるでしょうか。

「計画(Plan)と実行(Do)だけで、確認(Check)、対策(Act)が用意されていないシステムはムダである」

もとい、CAフィードバックがなければそもそも言葉の定義上システムとはいえない。

今、提案営業管理システムを開発していますが営業計画を立てさせればよくなるといった計画経済的な幻想を抱かせないようなものすることに注意しなければなりません。

この話しは、社会主義どころかもっと深めると、未来は決まっていると考える運命論者か、未来は何も決まっておらず自分で創るものと考える確率論者。そんなパラダイム論争になりそうですが、そんな事言っていても仕事が進まないのでやめておきましょう。。。。

1 件のコメント:

  1. 西原さん、お久しぶりです。八王子で一緒に飲んだのは、もう何年前になりますか。

    この書評、もうじき2年にもなるのですが、まったく気がつきませんでした。今日、はじめて検索に引っかかりました。え、だれだろう、こんなことをいうのはと思って最後までよんでみたら西原さんのお名前。やはり ! というところです。

    西原さんがコンサルタントの経験から、ふつうの経営者(あるいは経営学者)がどういう方向にバイアス電圧がかかりやすいか、その思考/志向を是正するのにどう苦労されているのかよく分かりました。『複雑系経済学入門』は、経営学にヒントになると思って書いたものではまったくありませんが、どこにも類似の問題が生ずるのですね。ここらあたりにも、ある種のフラクタル構造があるのかもしれません。

    この関係では、『複雑系経済学入門』とほぼ同時に出た『複雑さの帰結』という本のいくつかの章(第1章「複雑さの帰結」、第3章「刊行の束としての経済システム」、第6章「システム2原論の誤謬」など)がより直接的にすこし近い問題を論じています。あまりいい論文ではありませんが、同書の第5章「組織における世界像分業」は、上のフラクタル的な構造について議論しています。

    私の近況ですが、去年の3月末で中央大学を定年退職し、住所も八王子から世田谷に移しました。退職にさきだって、本を2冊出しました。ひとつは塩沢・有賀編『経済学を再建する』、もうひとつは単著で『リカード貿易問題の最終解決』というものです。どちらの複雑系とは直接関係はありませんが、新古典派の経済学の批判という観点からは、同じといえるかもしれません。

    新古典派経済学は最適化と均衡とを軸にしています。最適化の計算コストを考えるとき、最適化を実現できる場面はきわめて少なく、実際の経済行動は、最適化とは異なる原理で行なわれている。としたら、どういう行動原理により経済は機能しているかを考えていくと、意外なことに古典派とくにリカードの価値論(価格理論)に行きつきます。この古典派価値論を基礎に経済学を再建してみてはどうかという提案が『経済学を再建する』の提案編(最初の5つの章をわたしが書いています)、古典派の弱点(欠けた環)だった国際価値論をなんとか組み立てたというのが『リカード貿易問題の最終解決』です。

    いずれも高い本ですので、買ってよんでくださいとは言いにくいのですが、けっこう区立図書館などで借りられますから、ぜひ覗いてみてください。WEB上の書評としては、「ある地方公立病院の副院長」といわれる秋山先生のプログ「秋山のブログ」の2014年6月9日から8月27日まで8回にわたって議論してくれています。隠れていて気づきにくいのですが、じつはわたしもかなりいくつもコメントを書き込んでいます。

    閑なときにお読みいただければ幸いです。また一杯のみながら、いろいろ話を聞かせてください。

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